2005/10/23 日曜日

8ビット時代の終わり

Filed under: 私の電脳暦 — コザック @ 23:29:30

TK-80BS の次に購入したのは Z80 で 64KB RAM 搭載の MZ-80B でした。ディスプレーとカセットテープによる外部記憶が一体になった銀色の筐体で当時としてはカッコの良いコンピューターでした。特にマニアに受けていたのは回路図やモニターのソースコードが付いていた点だったかもしれません。最初高かったフロッピードライブも途中から入手しやすくなって、最終的にはフロッピードライブ、プリンターと買い揃え贅沢な環境を整えていました。
インターフェース誌に2パス・アセンブラのソースコードが載っていました。他の機種(ソースを見て何の機種かピンときたのですが忘れてしまいました)をターゲットにした物だったので変更の必要な場所をハンドアセンブルでパッチしながら移植しました。まわりの数少ない MZ-80B のユーザーの中にアセンブラに興味を示す人がいなかったので独りで使っていました。今にして思えばインターフェース誌にパッチとして投稿すれば良かったと思います。
プログラムテープをバックアップコピーする手段とかは無かったのですが公開されているモニターのソースとアセンブラのおかげで、まるまるコピーするプログラムを作ったりしていましたが、今と違って公開の場がなかったので、これも自分専用プログラムでした。
フロッピー・ドライブのドライバーのソースまでは公開されていなかったのですが、逆アセンブル(ツールを持っていたのか自分で作ったのか忘れました)して解析していました。当時も中国に出張ベースで来ていて、空港行く直前に思いついてリストを印刷し一ヶ月の出張期間中の暇つぶしに解析をしたものでした。確かリードでエラーすると何回かリトライするコードが入っていて感心した記憶があります。そのおかげてフロッピーも自分のプログラムから直接扱うことができるようになりました。自由自在に楽しめた良いマシンでした。MZ-80B で遊んでいるうちに世の中は 16 ビット・コンピューターの時代に変わっていましたが、ずいぶんとお金がかかるので直ぐにはついて行けなかったです。

2005/10/17 月曜日

APPLE II の衝撃

Filed under: 私の電脳暦 — コザック @ 2:57:42

何年の事だったか忘れましたが、前に書いた TK-80 が日本で流行っていたころではないかと思います。名古屋で開かれていたエレクトにクスショーを見学に行ったときのことです。ここで期せずして APPLE II に出会いました。APPLE II については有名なので改めて紹介する必要もないと思います。
そのスマートさはもとより、そこで動いていたスタートレックにあこがれました。結局 APPLE II を所有することはありませんでしたが、その後、色々なバリエーションのスタートレックで遊びました。単純ですし、難しいゲームではありませんが、いまだ何か特別なゲームとして心に残っています。
日本でワンボード・コンピューターに熱中している人たちがいる一方で海の向こうでは、こんなにもスマートなコンピューターが動いているということを思い返してみると、なんともすごいことであると再認識しています。すぐに日本でも MZ-80 や PC-8001 が出てきて形の上ではすぐに追いついてくるのですが、何かもっと文化的な要素において遅れを取っていたような気がします。

2005/10/12 水曜日

初めてのマイコン

Filed under: 私の電脳暦 — コザック @ 20:00:02

会社に入って仕事でコンピューターに囲まれる生活を始めましたが個人的にコンピューターを所有するのにはだいぶ時間がかかりました。入社当時すでにワンボード・コンピューターというものが存在していました。Intel 8080 という 8 ビットマイクロプロセッサの互換チップの搭載された NEC の TK-80 は憧れの的でしたが新入社員に手の出る金額ではなかったです。
何年かして、やや廉価版の TK-80E が出てから、それと TK-80BS という BASIC 言語搭載のアドオン・ボードを同時に購入しました。かなりの覚悟の購入だったと思います。
キーボードは TK-80BS に付属していて表示は家のテレビを使用します。ちょうど使わなくなった 14 インチの白黒テレビがあったので、それが TK-80BS 専用になっていました。自分の作ったプログラムの保管には普通のオーディオ・カセットを接続して行います。データーをプログラムで変調してピーギャーという音に変換して記録していました。TK-80BS が使っていたかどうか覚えていませんがカンサスシティ・スタンダードという有名なプロトコル (変調方式?) がありました。ベーシックも使いましたがハンド・アセンブルによるプログラミングで基本的な事柄を試してみる方が面白くかったと記憶しています。
最初から用意されている周辺機器はテレビとカセットテープだけでしたが搭載されているペリフェラル・インターフェース 8255 のポートの1つ半 (8255 知っている人居ます?) は空いていて自分で好きなように使用できました。型番は忘れてしまいましたが 40 桁の EPSON 製のドット・プリンター、おそらくは単体で売るものではないのではない、をある程度の安値で購入することが出来たので、それを接続して使用していました。TK-80E 上の空いているランドに自分で小さなコネクターとプルアップ抵抗を半田付けして接続しました。プリンターを動かすためのプログラムも自分で機械語で作成します。その為に 8255 のスペックシートを BIT-INN で購入した記憶があります。TK-80BS のベーシックには最初からプリンター関係のコマンドが用意されていて、ある決められたアドレスに自分でプログラムを書き込んでおくとベーシックからプリンターが使用できるという、ありがたい仕掛けが成されていました。おかげで最低限の努力でプリンターを使いこなす環境が出来上がりました。
高校時代に作った FORTRAN の万年カレンダーを移植してプリンターにカレンダーが打ち出された時の達成感、感動は忘れられません。実験ばかりではなく、カセットテープの曲名ラベルを作成するプログラムなどを作って半実用的な使い方もしていました。

2005/9/18 日曜日

初めてのコンピューター

Filed under: 私の電脳暦 — コザック @ 0:28:28

始めてコンピューターというものに触れたのは工業高校に入学してからでした。それは OKITAC-4300C というミニ・コンピューターでした。リンク先の写真にあるようにコンパクトなもので前面にはメモリに手作業でアクセスするためのスイッチ類が付いています。入出力装置はタイプライター式の端末と光学式の紙テープリーダーだけだったと思います。記憶デバイスはコアメモリーでした。コアメモリーというのはフェライトで出来たコアに磁気でデータを記憶します。電源が無くても記憶を維持できるという利点があります。反面、コアのサイズの関係で記憶密度を上げることが難しいです。ドーナッツ状のコアに銅線を通しているので、無理もありません。肉眼で確認できる大きさにならざるを得ません。したがって、コンピューターの記憶容量が知りたいときには蓋を開けてコアの数を数えなければいけません。(ウソです)

このコンピューターで FORTRAN (JIS3000) のコンパイラーを動かしていました。教科書に載っている練習問題くらいなら、コンパイル&ゴーで紙テープからソース・コードを読み込み、そのまま実行して結果をタイプするみたいな感じでした。従って、その頃の私は自分が書いたプログラムがコンピューターの全てで OS なんてものは想像もしたことが無かったです。ちょっと大きなプログラムを書くと紙テープの形でオブジェクトが吐き出され、それを改めてブートストラップで読み込ませて実行するなどということをやっていたと思います。そうすると、その後でまた改めてコンパイラーをブートストラップから読ませなければいけません。また、そのブートストラップというのが前面のスイッチで手作業でメモリーにストアーしないといけないという代物で、一度大きなプログラムを走らせてしまうと、他の人にとっても迷惑でした。先生の中に、あんまりぱっとしない人がいたのですが、なぜかその先生はブートストラップを暗記していて、いつもテキパキとコンパイラーを読み込ませていました。

プログラムの授業の最初の日に面白さに目覚めてしまいました。教科書は数日で読んでしまい、演習問題も机上で済ませてしまいました。演習の時間には、せっせと自分の組みたいプログラムを試していました。最終的に形として残ったのは万年カレンダーでした。年月をタイプライターから入力するとカレンダーを印字するという、まあ、ありきたりのものでした。今と違うのは参考になるアルゴリズムを調べる方法がないので、完全にオリジナルの方法を考えなければならないことです。万年カレンダーのアルゴリズムというのは、ある特定の日が何曜日であるかを判定することに他なりません。有名な Zeller の公式ほどには洗練されてはいませんでしたが、まずまずシンプルな判定方法を作っていました。ソースリストをずっと保管していたはずなのですが、どこかにいってまったのが、ちょっと残念です。

2005/9/5 月曜日

始めてフログラミングという概念を認識したとき

Filed under: 私の電脳暦 — コザック @ 3:50:18

私が始めて、世の中にコンピューター・プログラムというものがあると知ったのは子供のころに父親と一緒に見ていた NHK のテレビ番組の中のことでした。
まずは、時代背景から説明しておいた方が良いでしょう。私の子供時代を一言で言うなら「アポロ世代」という言葉で表せます。新聞やテレビではベトナム戦争のニュースの方が多く流れていたのでしょうが、アポロ11号の月着陸の中継の方が子供にとっては刺激であったのは間違いありません。ヒューストンとアームストロング船長の通信、それと同時通訳の西山千さんの声は今でも忘れられないです。アポロ計画には、当然コンピューターは使われていますし、映画などでも磁気テープのリールが回っているとコンピューターが映っているという認識がすでに定着し始めていたのではないかと思います。しかしながら、それがいったい何者であるかは小学生には思いも及びませんでした。
テレビ番組に話を戻します。それがアポロ11号より前のことか後かは、はっきりと覚えてはいません。多分いくらか前のことではなかったかと思います。その番組は昼間の放映で、おそらくは家庭の主婦向けの教養番組であったような気がします。司会進行は男女2名でテーブルの右のほうにゲストの男性がいてインタビュー形式で進行していく番組でした。その番組で紹介されていたのが卓上式の大きな電卓のような機械でした。その機械が何であったかは、今では知る由もありませんが、ただ数字を入力して計算してくれるというだけでは無いのだということをゲストの男性は説明していたのだと思います。その一例として入力した数値が奇数であるか偶数であるかを判別する方法について解説していました。説明の内容は覚えていませんし、それがコンピューター・プロクラムではないかと思ったのは後付の知識です(タイトルに偽りありかも?)。ただ、その時、その機械があればどんなに楽しいかと思ったことは間違いありません。大人になっても手に入るものなのかどうかは、分からないくらい高価そうなものだけれど何時か自分の机の上に置いてみたい物だと間違いなく思いました。

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