会社に入って仕事でコンピューターに囲まれる生活を始めましたが個人的にコンピューターを所有するのにはだいぶ時間がかかりました。入社当時すでにワンボード・コンピューターというものが存在していました。Intel 8080 という 8 ビットマイクロプロセッサの互換チップの搭載された NEC の TK-80 は憧れの的でしたが新入社員に手の出る金額ではなかったです。
何年かして、やや廉価版の TK-80E が出てから、それと TK-80BS という BASIC 言語搭載のアドオン・ボードを同時に購入しました。かなりの覚悟の購入だったと思います。
キーボードは TK-80BS に付属していて表示は家のテレビを使用します。ちょうど使わなくなった 14 インチの白黒テレビがあったので、それが TK-80BS 専用になっていました。自分の作ったプログラムの保管には普通のオーディオ・カセットを接続して行います。データーをプログラムで変調してピーギャーという音に変換して記録していました。TK-80BS が使っていたかどうか覚えていませんがカンサスシティ・スタンダードという有名なプロトコル (変調方式?) がありました。ベーシックも使いましたがハンド・アセンブルによるプログラミングで基本的な事柄を試してみる方が面白くかったと記憶しています。
最初から用意されている周辺機器はテレビとカセットテープだけでしたが搭載されているペリフェラル・インターフェース 8255 のポートの1つ半 (8255 知っている人居ます?) は空いていて自分で好きなように使用できました。型番は忘れてしまいましたが 40 桁の EPSON 製のドット・プリンター、おそらくは単体で売るものではないのではない、をある程度の安値で購入することが出来たので、それを接続して使用していました。TK-80E 上の空いているランドに自分で小さなコネクターとプルアップ抵抗を半田付けして接続しました。プリンターを動かすためのプログラムも自分で機械語で作成します。その為に 8255 のスペックシートを BIT-INN で購入した記憶があります。TK-80BS のベーシックには最初からプリンター関係のコマンドが用意されていて、ある決められたアドレスに自分でプログラムを書き込んでおくとベーシックからプリンターが使用できるという、ありがたい仕掛けが成されていました。おかげで最低限の努力でプリンターを使いこなす環境が出来上がりました。
高校時代に作った FORTRAN の万年カレンダーを移植してプリンターにカレンダーが打ち出された時の達成感、感動は忘れられません。実験ばかりではなく、カセットテープの曲名ラベルを作成するプログラムなどを作って半実用的な使い方もしていました。
10月
12
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