実に一年振りとなる「私の電脳歴」カテゴリーのエントリーです。ネタ切れの時に昔を懐かしんで書いていたカテゴリーです。あまりに昔の事で時系列になっているかどうかも怪しいです。 🙂
小さな機械が好きでポケコン使ったり電子手帳に入れ込んだりしていましたが、今にして思い返すとOMRON Massifを購入した時点でモバイラーになったと言えるのかもしれません。
93年頃だったと思います。大阪日本橋の電気街を歩いていると量販店の店頭で何やら面白そうなデバイスの新発売キャンペーンをやっていました。それがOMRON Massifでした。PIM、パソコン通信、FAXなどの機能を備えた携帯情報端末です。汎用端末ではなくてクローズドなメニューから各機能を立ち上げる専用端末になっています。それだけでも触手が動きますが、キーボードを見るとCtrlやAltが備わっていて、どうみてもIBM PC互換機です。とりあえずCtl+Alt+Delを押してみると再起動します。再起動中のメッセージからDR-DOSで動いていることも分かりました。それから10分ほどいじっていてAlt+Q(最初はCtrl+Alt+Qと思っていました)で見慣れたDOSプロンプトを出すことに成功しました。軽量、ノンスピンドル(そんな言葉は使っていませんでしたが)な端末が目の前に現れて買わずにはいられませんでした。実際にはかなり高価だったので日本橋の喫茶店にて熟慮しました。
当時はパソコン通信としてのNiftyが大盛況の時代でした。そのNiftyのIBM PC系のフォーラムにAlt+Qの件を報告したところ、Alt+Qを発見した人も数人居たようで、色々と実験の報告が上がってきました。ほどなくNiftyのシステム手帳フォーラムにMassifファンが集結しMassif Clubが結成されました。
MassifはDR-DOSにASCII製の日本語表示ドライバーとVJE-Σが搭載されています。基本的にはPC-DOS互換ですしDOS/Vにもかなり近いのですが、やはり微妙に違います。NatriumさんのCHEJ(元々はDynabook向けのプログラムだったと思います)でディスプレーをPC-DOSモードにすれば、たいていの英語モードのプログラムは動きました。しかしながら日本語モードではFDさえも動きません。Massif Clubのメンバーにより様々なテクニックやプログラムが開発され、普通に携帯パソコンとして使えるまでにさほど時間はかかりませんでした。私も日本語モードでFDを動かすための小さな常駐プログラム(思いっきりコザイクなプログラムです)を作ったり、キーマップを自由に編集できるキーボード・ドライバーを書いてフォーラムで公開していました。極めつけはべんぜんさんの完全DOS/V互換ドライバーの登場でした。これによりMassif Clubのメンバーの多くはMassifをDOS/V機として使用していました。
電池の持ちも良くて軽量なため、ほんとに良く持ち歩いていました。そして、育てる喜びを与えてくれたデバイスでもありました。
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